闇の中で踊るトロールたちの囁き : グリーグ ペール・ギュント組曲より「山の魔王の宮殿にて」

 

記憶の奥の、ある夜の戦慄

ある音楽は最初の音から聴き手を掴んで離さない。ただ静かに、まるで誰かが耳元で囁くように近づいてきて、いつの間にか心臓の鼓動をコントロールしていることに気づかせる。エドヴァルド・グリーグの「山の魔王の宮殿にて」がまさにそんな曲だ。

初めて聴いた時のあの不思議な感覚を覚えている。低い弦楽器が作り出す不気味な旋律が耳に染み込みながら、まるで地下洞窟の奥深くへ引きずり込まれるような感覚だった。そして徐々に、本当に徐々に大きくなっていくその音の波。気がつくと私はその音楽の中を走っていた。いや、追いかけられていたと言うべきだろうか。

この曲を聴くたびに考える。果たして人間の内面にはどれほど多くの闇が隠れているのだろうか。そしてその闇たちが時には、どれほど魅惑的な踊りを踊ることができるのだろうか。


ノルウェーの魂が紡いだ劇音楽

エドヴァルド・グリーグ(1843-1907)は、ノルウェーが生んだ最も偉大な作曲家の一人である。彼が生きた19世紀後半は、ヨーロッパ全域で民族主義音楽が花開いた時期だった。各国の作曲家たちが自分たちの固有の文化と伝説を音楽に込めようと努力し、グリーグもまたノルウェーの民謡と伝説からインスピレーションを得た。

「ペール・ギュント組曲」は、もともとヘンリック・イプセンの同名戯曲のためにグリーグが作曲した付随音楽だった。イプセンの劇は、ノルウェー民話の主人公ペール・ギュントの冒険を描いた作品で、幻想と現実が入り混じった独特な世界を見せる。グリーグはこの劇のために計23曲の音楽を作曲し、後にその中で最も印象的な8曲を選んで二つの組曲に再構成した。

「山の魔王の宮殿にて(In the Hall of the Mountain King)」は第1組曲の最後の曲で、劇中でペール・ギュントがトロールたちの王宮に入る場面を描写している。トロールは北欧神話に登場する巨大な怪物たちで、山奥深くに住み、人間を害する存在とされていた。


小さな囁きから始まった狂気

この曲の最も驚くべき点は、その始まりである。ピアニッシッシモ(ppp)、つまり最も小さな音でチェロとベースが神秘的な旋律を奏でる。まるで地下深くから聞こえてくる呟きのようだ。この瞬間、聴き手はすでにトロールたちの世界に足を踏み入れているのだ。

旋律自体は驚くほど単純である。ただ数個の音符が繰り返されるだけだ。しかしその反復の中には魔法が隠されている。繰り返されるたびに少しずつ、本当に少しずつ速くなり大きくなる。まるで心臓の鼓動が次第に速くなるように。最初は耳元の囁きのようだった音が、いつの間にかざわめきとなり、ざわめきは叫びとなり、叫びは狂乱の雄叫びとなる。

グリーグはこの漸層法によって聴き手の緊張感を徐々に高めていく。まるで圧力鍋で蒸気が徐々に溜まっていくように、音楽的エネルギーが蓄積されていくのを体で感じることができる。木管楽器が一つ二つと合流し、弦楽器全体が震えを作り出し、ついに金管楽器と打楽器まで加わると音楽は頂点に向かって駆け上がる。

曲の中間部に至ると、元の遅いテンポはどこかに消えてしまう。速いスタッカートのリズムがまるで数百匹のトロールが駆け回る足音のように聞こえる。ここでグリーグが用いた管弦楽法は本当に卓越している。各楽器群が交互に主題を演奏しながら、まるでトロールたちが互いに会話を交わしているような効果を生み出している。

そして最後のクライマックス部分。すべての楽器がフォルティッシッシモ(fff)で演奏し、元の4/4拍子だった曲が2/4拍子に変わってさらに急迫感を増す。この時の音はもはや音楽ではなく自然現象に近い。まるで山崩れや嵐のような原始的な力が爆発するかのようだ。


私の中のトロールたちと向き合う

この曲を聴くたびに、私は不思議なカタルシスを体験する。最初の静かな始まりから最後の爆発的なフィナーレまで、まるで自分の中に隠れていた何らかの原始的感情が目覚めるようだ。

私たちは皆、日常では大人しく合理的な姿で生きている。しかし時には内面の奥深くで何かがうごめいているのを感じる。それが怒りかもしれないし、欲望かもしれないし、あるいは単純に自由になりたい衝動かもしれない。グリーグの「山の魔王の宮殿にて」は、まさにそんな私たちの内なる「トロール」を音楽で形象化したもののようだ。

特に曲が次第に速くなりながらクライマックスに向かって駆け上がる部分で、私はしばしば幼少期の記憶を思い起こす。遊び場で友達と鬼ごっこをした時のあのスリリングな緊張感、あるいは怖い映画を見た時に心臓がドキドキしたあの胸の高鳴り。この曲は、そんな原初的な感情を大人になった私たちに再び与えてくれる。

音楽が終わった後には不思議な虚脱感がある。まるで激しい運動を終えた後のように。しかし同時に何らかの浄化作用を体験したような爽快感もある。おそらくこれが真の芸術が与える力ではないだろうか。普段抑圧している感情を安全な方法で発散させてくれること。


より深く聴くための鍵

この曲をきちんと鑑賞したいなら、いくつかのポイントに注目してみることをお勧めする。

まず、初めて聴くならヘッドホンか良いスピーカーで聴いてみよう。この曲の真の魅力は繊細なダイナミクスの変化にあるからだ。最も小さな音から始まって爆発的な音で終わるその旅路を本当に体験するには、良い再生環境が必須だ。

次に、曲を聴きながらテンポの変化に集中してみよう。グリーグがどれほど精巧に速度を調整しながら緊張感を作り出しているかを感じてほしい。最初はメトロノームで拍子を測りながら聴いてみてもいい。同じ旋律が繰り返されるが、毎回少しずつ速くなっているのを確認できるだろう。

第三に、複数の演奏版を比較して聴くのも興味深い。指揮者によってテンポ変化の幅やクライマックス部分の解釈がかなり異なる。個人的にはカラヤンとベルリン・フィルの1982年録音をお勧めする。劇的な対比と精巧な管弦楽法がよく生かされた演奏だ。


時を超えたトロールたちの踊り

クラシック音楽の偉大さは、時代を超えた普遍性にあると思う。グリーグがこの曲を作曲してから既に150年近い歳月が流れたが、「山の魔王の宮殿にて」は依然として21世紀の人々の心を躍らせる。

トロールという北欧の伝説的存在は私たちには馴染みがないかもしれないが、彼らが象徴する人間内面の闇と原始性は依然として私たちの中に生きている。グリーグはそれを音楽という普遍的言語で表現し、おかげで私たちは時間と空間を超えてその感情を共有することができる。

この曲を聴くたびに私は考える。結局すべての偉大な芸術は、人間の最も深いところに触れているものを扱っているのだと。グリーグのトロールは単純な怪物ではなく、私たち皆が持っている野性と自由への憧憬の隠喩だったのだ。

音楽が終わり静寂が訪れる時、私たちは再び日常に戻る。しかし束の間でも私たちの内なるトロールと一緒に踊ったその時間は、私たちをもう少し正直な人間にしてくれる。そしてそれこそが音楽が私たちに与える最大の贈り物ではないだろうか。


次の旅先:ハンガリーの炎のような情熱の中へ

グリーグのトロールと一緒に踊る体験が気に入ったなら、今度は全く違う種類の興奮を提供する曲をお勧めしたい。フランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲第2番」である。

もし「山の魔王の宮殿にて」が闇の中で徐々に目覚める原始的衝動を描いたとすれば、リストのハンガリー狂詩曲は陽光の下で繰り広げられる華麗で激情的な祭りのようなものだ。この曲はジプシーたちの自由な魂とハンガリー平原の熱い風をピアノの鍵盤の上にそのまま移したような作品である。

特に注目すべき点は、両曲とも「漸層法」を使用しているが、その感じが全く違うということだ。グリーグが不安と緊張感を徐々に増幅させたとすれば、リストは喜びと歓喜を花火のように打ち上げる。最初の遅いラッサン(Lassan)部分では深いため息と憧憬を、続く速いフリシュカ(Friska)部分では無限の生命力と自由さを表現する。

何より、この曲を聴いた後は、グリーグの曲で体験した内面の闇とは正反対の解放感を感じることだろう。まるで地下洞窟から出て広大な平原を駆けるような感じ。トロールの重い足音の代わりに、ジプシーの軽やかな踊りがあなたを待っている。

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