バッハ パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV 582 完全ガイド

透明な波のように流れる時間、バッハのプレリュードハ長調


始まりはいつも疑問符のように

初めてこの曲を聴いた時、私は何かが始まるのを待っていた。メロディが飛び出してくるような気がしたし、劇的な展開が繰り広げられるに違いないと思っていた。しかしバッハの《プレリュードハ長調》は、そんな期待を静かにかわしていく。代わりに差し出されるのは、途切れることなく繰り返されるアルペジオ、まるで透明な波が足首を濡らすように絶え間なく流れる音の流れだ。

この曲は華やかではない。劇的でもない。ただ流れるだけだ。ところが不思議なことに、その流れの中で私は立ち止まってしまう。何かを待つのではなく、今この瞬間を聴くようになる。バッハ《プレリュードハ長調BWV 846》は、そうやって何でもないようでいて全てを含んだまま始まる。


バッハが描いた音楽の地図、平均律クラヴィーア曲集

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)はバロック時代の巨匠である。彼の《平均律クラヴィーア曲集第1巻》は1722年に完成され、24の異なる調性で書かれたプレリュードとフーガを収めている。この作品は単に美しい音楽を超えて、当時としては革新的だった「平均律」調律システムを実験し証明する教本でもあった。

平均律とは、12の半音が全て等しい間隔で調律され、どんな調性でも自由に演奏できるようにしたシステムだ。今では当たり前に見えるが、バッハの時代にはこれが新しい世界を開く鍵だった。バッハはこの革新を単に理論として残さず、美しい音楽として実現した。

《プレリュードハ長調》はその最初の曲だ。ハ長調、最もシンプルで基本的な調性。黒鍵一つなく白鍵だけで演奏されるこの曲は、バッハが複雑さではなく純粋さで始めようとしたことを示している。前奏曲という意味の「プレリュード」らしく、この曲は後に続くフーガのための準備であり、それ自体で完璧な一つの世界だ。


35小節に込められた宇宙、プレリュードハ長調の構造と流れ

バッハのプレリュードハ長調はわずか35小節で成り立っている。短いと思うかもしれないが、その中には驚くべき建築美が隠れている。この曲は大きく三つの部分に分けられる。

導入部(第1-8小節):透明な始まり
第1小節から両手は規則的なアルペジオパターンを描き出す。一小節に一つの和音、その和音を八つの音で展開する。ハ長調の主和音から始まり安定感を与えながら、すぐに他の和音へ自然に移動していく。この部分を聴くと、まるで澄んだ湧き水が岩の隙間を流れていくような感覚を受ける。何の障害物もなく、ただ流れるだけだ。

展開部(第9-20小節):色彩の拡張
導入部のパターンは継続されるが、和声はより豊かになる。バッハは同じ形式の中で緊張と弛緩を巧みに配置する。ある小節では和音が少し暗くなって緊張を与え、次の小節では再び明るくなって安堵感を与える。この過程が繰り返されながら、音楽は次第に深いところへ私たちを導いていく。目を閉じて聴くと、太陽の光が水面の下まで透過していく光景が描かれる。

再現部(第21-35小節):帰還と終結
展開部で遠くまで行った和声たちが再び家に戻ってくる。導入部のパターンが再登場して安定感を取り戻し、最後の小節では壮大なカデンツで締めくくられる。このカデンツは単なる終わりではない。全ての流れが一つの点に収束する瞬間であり、その瞬間に私たちは初めて「ああ、この曲はここに来るための旅だったのか」と悟るのだ。

全体を貫いているのは8分音符の連続だ。35小節の間、一度も止まることなく流れるこれらの音は、まるで時計の秒針のように規則的でありながら生命力を持って動く。鍵盤を押す指一本一本が小さな宇宙を創り出す。


私がバッハの波に身を委ねた瞬間

私はこの曲を初めて聴いた時、正直少しがっかりした。あまりにシンプルに見えた。同じパターンの繰り返し、はっきりしたメロディもなく、劇的な変化もない。しかし二回目、三回目と聴くうちに悟った。この曲は「何かを見せようとする」音楽ではない。ただ「ある」音楽なのだ。

ある夜、窓の外に雨が降っていた。私は明かりを消してこの曲をかけた。雨音とバッハのアルペジオが重なった。その時感じた。この音楽は時間を表現しているのではなく、時間そのものなのだと。流れるもの - 水、風、雨音、呼吸 - その全てがバッハのプレリュードと似ているのだと。

バッハのプレリュードは私に「聴き方」を教えてくれた。何か特別な瞬間を待つのではなく、今流れているこの音一つ一つに耳を傾ける方法を。各和音の微妙な色の変化を、音が触れ合う時に生まれる小さな震えを、そしてそれら全てが集まって作り出す完璧なバランスを感じる方法を。

この曲を聴き終えると、世界が少し透明に見える。複雑なものは実はシンプルな要素の組み合わせに過ぎないということ、そしてそのシンプルさの中に本当の美しさがあるということをバッハは35小節で証明する。


バッハのプレリュードハ長調、こう聴いてみてください

1. 和声の変化に集中する
この曲はメロディが際立たないため、各小節の和音変化を追っていくのが核心だ。一小節一小節がどんな和音を展開しているのか、その和音がどのように次の和音へ自然につながっていくのかを意識しながら聴いてみよう。最初は難しく感じるかもしれないが、何度か繰り返して聴くと和音の色が見え始める。

2. ペダルなしで聴くバージョンと比較する
バロック時代の鍵盤楽器(ハープシコード、クラヴィコード)には現代のピアノのサステインペダルがなかった。したがってこの曲を本来の形で聴きたいなら、ペダルを最小限にするか全く使わない演奏を探してみよう。グレン・グールドの1982年録音やアンドラーシュ・シフの解釈が良い例だ。ペダルなしの演奏は各音の始まりと終わりが明確になり、バッハが設計した構造をより明瞭に聴くことができる。

3. テンポはゆっくり、繰り返して
速いテンポで演奏されたバージョンも素晴らしいが、初めて鑑賞する時はゆっくりしたテンポの演奏をお勧めする。アンジェラ・ヒューイットの2002年録音のように余裕のあるテンポは、各音が作り出す小さな響きまで逃さないようにしてくれる。そしてこの曲は反復聴取に最適化されている。一度聴いて理解できる音楽ではなく、聴くたびに新しい肌理を発見する音楽だ。


波は続いていく

バッハの《プレリュードハ長調》は始まりでも終わりでもない。ただ流れの一瞬間を捉えただけだ。35小節が終わった後、私たちはその流れが実は止まっていないことを知る。どこかでまだそのアルペジオが流れていて、私たちはしばらくその音に耳を傾けただけなのだ。

この曲を聴いた後、私は日常の音を違って聴くようになった。コーヒーを淹れる音、キーボードをタイピングする音、車が通り過ぎる音。全てがそれなりのリズムとパターンを持って流れているということを。バッハは300年前にそれを知っていて、鍵盤の上にその真理を刻みつけた。

透明な波のように流れる時間。その時間の中で私たちはしばらく息を整え、耳を開き、世界の音を聴く。バッハのプレリュードが私たちに贈る贈り物はまさにそれだ。聴く方法。そしてその中で発見する完璧なバランス。


次の旅:闇の中で咲く光、リリ・ブーランジェの夜想曲

バッハの透明な波に沿って流れてきたあなたに、今度は全く異なる時代の音楽を紹介したい。20世紀初頭フランスの作曲家リリ・ブーランジェ(Lili Boulanger, 1893-1918)が残した《ヴァイオリンとピアノのための夜想曲》だ。

リリ・ブーランジェは24歳の短い生涯を生きたが、その中に驚くべき音楽的深みを込めた。彼女はローマ大賞を受賞した最初の女性作曲家であり、姉のナディア・ブーランジェと共に20世紀フランス音楽界に大きな足跡を残した。しかし生涯を病魔と闘いながら生きた彼女の音楽には、独特の哀愁と超越的な美しさが込められている。

《夜想曲》はヴァイオリンとピアノが交わす対話のような曲だ。バッハのプレリュードが透明な流れだったとすれば、ブーランジェの夜想曲は闇の中でほのかに輝く月明かりのようだ。ヴァイオリンは時に囁き、時にむせび泣き、ピアノはその背後で柔らかく支える。印象主義的な和声と叙情的な旋律が織りなし、聴く者の心の深いところに触れる。

バッハからブーランジェへの道は200年の時を飛び越える旅だ。バロックの明晰な構造美から20世紀初頭の夢幻的な感性へ。しかし二つの音楽は私たちに同じことを求める。静かに耳を傾け、音に込められた真心を感じること。ブーランジェの夜想曲はバッハが残した透明さを保ちながら、あなたをまた別の感性の世界へ案内するだろう。


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